太鉄軌道線は1912年、高円寺電氣鐡道時代に出来た路線です。
1963年11月まで世田谷区・杉並区・練馬区・板橋区・狛江市・三鷹市・武蔵野市・小金井市・国立市で運行されていました。
都電杉並線と直通運転をしているが杉並線以外の路線とは直通が出来なかった。
軌間が1067mmだったためだ、1950年までは1372mmであったが、戦後に1067mmに変換された。
1963年12月1日、自動車の増加により太鉄軌道線は廃止されました。
当時は都電杉並線(14系統)と直通運転を行っていましたが、太鉄軌道線と共に廃止されました。
末期には11系統、7路線を運行していました。
お盆や年末には臨時電車として多磨霊園に向かう「墓参電車」が運行されていました。
45系統は都電杉並線と直通し、荻窪駅まで結んでいました。
高円寺線と高井戸線はまだできていなかった、環状七号線・環状八号線の一部区間を走行しており、東京市と共同で「線路の両側を道路にする工事」を行い、現在の環七と環八が完成しました。
他にも太鐡軌道線跡に作られた道路はかなりあります。
当時使われていた系統プレートは、3種類あり、四角(菱形)、丸型(円)、都電型がありました。
都電型は都電の系統プレートをベースに作られた物で都電の物とは少し異なる。
車両は高鐡10型と30型が去った後に製造された、「太鐡1000型軌道電車」と「高鐡20型電軌」が使用されていた。
末期には57両が所属していた。廃止後は、軌間が1372mmに変更され、全国の路面電車事業者へ売却された。